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千波は一瞬、そこに立つ人物が誰なのかわからなかった。
夕陽から目を移した海岸は、既に薄暗くぼんやりとなずんでいて、長身のシルエットで男性だということだけはすぐにわかった。
やがてオレンジ色に染まった男性の顔をはっきりと視界に捉えた千波は、愕然として思わず息を飲んだ。
「……………っ!」
その男性はまさに、いつも店から眺めていた、あの浜辺の男性だったのだ。
昨日、店に来た時に近くで見たので間違いない。
「………………」
緩い海風が吹き、男性の少し長めの前髪が揺れた。
二人の間を赤とんぼが二匹、仲睦まじげに飛んでゆく。
ザザーッという波の音が、一際大きく耳に届いた。
しばらく目を丸くして千波の顔を見つめていた男性だったが。
直後口元に手を置き、クスッと微笑んだ。
「……夕陽に向かってバカヤローって叫ぶ人、初めて見ました」
「……………っ!」
カーッと千波の顔に血が上る。
誰も聞いていないと思ったのに、あんな恥ずかしい絶叫をよりによって密かに憧れていた人に聞かれるなんて。
一体全体、どこまで神様は千波を不幸のどん底に突き落とせば気が済むのだろう。
「………すみませんでしたっ!」
顔も見ずにそう言うと、千波は砂浜に置いていたバッグを拾い上げた。
そのまま全速力で男性の脇をすり抜ける。
男性はハッとしたように千波を振り返った。
「───── 待って!」
呼び止める声が追い掛けてきたが、千波は立ち止まらずに、そのまま国道への道を駆け上がった。
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