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「よ」 それが楼二の第一声でした。 「どーぞ、入って」 仰天のあまり三十分ほど口がきけませんでしたが、楼二はそういう反応を充分予期していたらしく、私の腕を引っ張って二十畳はあろうかという座敷の真ん中に座らせ、茶を勧めてくれました。その茶がまだ庶民には珍しい紅茶だったので私は更に驚き、楼二はそんな私を煙草をひっきりなしに噴かしながら面白そうに眺めていました。彼の着物は黒の着流しでしたが裏地が赤く、縦糸にも朱色が織り込まれていて花魁か何かのような艶やかさでした。勿論花魁など直に見たことはありませんが、とにかく普通はあり得ないものです。柱といい天井といい蒔絵師が発狂でもしたような容赦のなさで装飾の限りをつくしてあり最早悪趣味と言ってもいい位でしたが、そんなけばけばしさも楼二の前では消し飛びました。 「人間?かって思ってる?」 楼二の声は甘くて優しくて、私は繕う気も失せて素直に頷きました。 「あんたは?」 「はい?」 「自分が人間の腹から生まれた記憶がある?」 不思議なことに、これだけの問答で私はすっかり楼二に魅せられてしまいました。楼二は何故私がここに呼ばれたかを丁寧に話してくれ、夢中で聞き終えた頃には夜が白々と明けていました。 楼二は自分の年を知らないと言うのです。いつ生まれたかも親が誰かも知らないと。そして、物心ついた時から一度も、ただの一度もこの部屋から出たことがないと。
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