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転輪王は現の額に優しく手を当て囁いた。
「現……南へ行きなさい。そこにあなたの命を延ばし救う者がいます。あなたの支えとなるはずです」
そう言うと転輪王は現を手放した。傷は痛んだが、不思議と体が倒れずに足が動く。
「自分の足で歩きなさい。自分の道を自分で切り開くのです。……世界があなたを欲しているのですから」
転輪王の声が最後まで耳に残っていた。現は何かに取り憑かれたようにふらふらと歩いた。意識したわけではないのに南の方角へ向かって、燃え盛る山道の中を歩いていた。
山をいくつも越え、過ぎた時間さえ現には分からなかった。何も分からなかった。
現は全て失っていた。邑も肉親も幸せな日々も、ただひとつ生というものに固執していた。
南の地では雨が降っていた。
雨は現の体温をことごとく奪ったが、それでも意識をつなぎ止める糸のようだった。
そこでついに限界が訪れた。ここまで辿り着いたのは奇跡ではあったが、傷口は膿み腐り、あまつさえ何も飲まぬ食さぬ。
泥になった山道に現は倒れ込んだ。このまま死んでしまおうと思ったが、それもかなわなかった。
声がしたからである。
「どうしたの?」
視界に小さな顔がぼやけて見えた。あどけない少女であった。雨の日というのに子犬を従えていた。穴に隠れたうさぎを捕らえるのかもしれなかった。
現はもはや瀕死の状態であったが、全身を打ち震わせ、こう言ったことを覚えている。
「死にたくねぇ……」
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