米と英

3/4
前へ
/9ページ
次へ
「ああ、明日の資料忘れたんだぞ…」 まあいいだろう。彼ならキチンと保管して明日持ってきてくれる。小言はおまけで付いてくるだろうがいつものことだ。右から左に受け流してしまえばいい。 そう、それが今の通常。彼が繰り返し俺の昔話をするのも、口うるさく小言を言ってくるのも、俺が彼の話を聞き流すのも、いつの間にか追い越してしまった目線も。それが向かい合うたびに繰り返される、確認できる、普通のこと。 でも俺はいつまでたってもその日常から違和感を拭い去れずにいる。 石畳を革靴が叩く乾いた音がシンとした夜道に響く、彼の家から駅まで向かう道は同じなのに、規則正しく立つ外灯もいつの間に昔より随分明るく照らすものになった。 薄暗い道は、彼に手を引かれていないと歩くのも怖かったのに、今はこうして一人、一歩踏み出す程に彼を遠ざけている。 今頃彼はどうしているだろうか。ため息をついて、空になったグラスにウイスキーを注ぎ足して、また昔の俺を思い返しているのだろうか。それとも帰ってしまった俺を思って反省でもしてるのか…恐らく後者かな。毎回同じことをして、一番それを愁ているのは彼自身だから。 だけど、今と昔の違いを受け入れられずにいるのは俺の方なのだ。 さっきだってそう。耐え切れなくなったのは彼の思い出話じゃない。昔と違う、対等な目線で今の俺を見る彼自身にだ。 日本には若気の至りなんて言葉があるんだっけか。よくわかってるよね、言葉を作った彼らは俺たちよりも遙かに短い生しかないというのに。 今更昔と同じようにはなれないなんて、とおに理解しているんだ。彼も、そしてなにより俺が変わったのだから。 独立したのは俺。彼を拒絶したのも俺。国としてなんにも後悔なんてしてないはずなのに。昔と何一つ変わらない彼をどこかで探してしまう。過保護に甘やかしてくれないことに悲しくなってしまう。 独立直後の絶望的にも思えた溝は、時がゆっくり埋めてくれた。再び彼の笑顔を向けてもらえるときを渇望していていたはずなのに、実際目にした時に感じたのは砂を食むような違和感で。なんだか酷く哀しかった。 理不尽だろう?でも仕様が無いじゃないか、心がそう思ってしまうんだから。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!

10人が本棚に入れています
本棚に追加