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「そう。あの子は私の弟なんです。私は姉の佐津樹と言います。あなたのお名前は?」
自分の名前。少年はそれが分からなかった。頭の中でそれを掴もうとしても、虚しく空振りするのみである。
少年は、素直に分からないと言うように首を横に振るしかなかった。
佐津樹は、不思議そうに首を傾げ、頭に右の人差し指を当てて考えていたようだが、ほどなくして少年の耳に顔を近づけた。
「ならば、自分でつけてみて。自分の名前を」
名前をつける。それは、少年にとってとても重要な事に思えた。周りに自分を認識させる為の合言葉、鍵。それを自分で作るのだ。
しかし、少年が思っていたよりずっと早く、頭のなかにぼんやりと浮かぶ。朧気で儚い、靄のようなイメージ。
「……歴だ。僕は歴だ」
「そう。よろしくね。歴君」
自分を表す記号が、こうも容易く決まってしまう。それはそれで、歴にとっては不安だった。
しかし佐津樹は、目映いような笑顔を見せて、歴の手を取った。そして、さっきまで自分がいた席まで彼をつれて行く。
その途中で、生徒の目がこちらに向いていくのを見ながら、少年はちょっとだけ恥ずかしいような嬉しい気持ちになった。
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