《第1章 人魚の足跡 -missing-【2】》

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 日向子は、やはりあくまで上品な仕草でみそ汁を口にしてから、 「わたくしが毎日三度のお食事を作って差し上げられたらよろしいのですけれど」  何気無くとんでもないことを口走ったので、 「げほっ」  お約束通り玄鳥はむせ返った。 「そうか、そうなりゃ楽でいいな」  そして案の定、紅朱は全く動じない。 「……けど、食生活ったら一番問題なのは万楼だな」 「万楼様ですか?」 「ああ、あいつはすごいぞ。冷蔵庫ん中、ジュースと菓子と菓子作りの材料しかねェから」 「……確かにあれはひどい」  なんとか気道を確保した玄鳥も話に加わる。 「自炊するって言うから得意料理は何かって聞いたら、アップルパイと、チョコレートケーキと、フィナンシェと、マドレーヌと……って延々とお菓子列挙したからな……」 「主食が菓子なんだよな、あいつは」  普通ならとても信じ難い話ではあったが、先日のあのスウィーツだらけのテーブルを思い出せば、日向子にも納得できた。 「それは……いくらなんでも……お体に障るのでは?」 「ですよね……俺もそう思います。どうも昔からそうらしいんですけど。お菓子の栄養分だけで、よくあそこまで背が伸びたな……」  玄鳥が半分独り言のように呟いた瞬間、無言のままおもむろに箸を置いた紅朱が、再び七味の容器に手を伸ばすと、外蓋を外してフィルターの無くなったそれを玄鳥の食べかけの牛丼の上で引っくり返した。 「うわっ……何するんだよ兄貴!」 「ふん」  まるで火事場のように真っ赤になった丼の凄まじいビジュアルに、目を白黒する玄鳥をよそに、紅朱は何食わぬ顔で空になった七味の器を元に戻した。  玄鳥は自分が言った言葉のどの部分が原因でこうなったのか、経験上よくわかっていたが、口にしたら薮蛇になりかねないということも経験上よくわかっていた。 「なんてことを……これじゃもう食べられないじゃないか」 「まあ……それはもったいないですわ。わたくしが頂いても?」 「え?」  思わず綺麗にハモる兄弟。  日向子は半分も中身の残っていない玄鳥の丼を自分のほうに引き寄せた。
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