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日向子は少し安心したように頷いた。
「父ならおそらく叱ると思いますわ。けれどわたくし、幼少の頃に、けして食べ物は無駄にしてはいけないと母に教えられましたの」
「へえ……そりゃ立派なおふくろさんだな」
「……ええ。自慢の母です。随分前に亡くなりましたけれど」
「……そうか」
紅朱は熱いお茶をすすりながら、微かに目を伏せた。
「……でもそんなふうに母親とのいい思い出があるなら、お前は結構幸せだな」
「紅朱様と玄鳥様のお母様も素敵な方ですわね」
紅朱は苦笑する。
「ああ。優しい母親に、真面目な父親、出来すぎ君な弟……確かに、俺にはもったいないくらいいい家族だと思う……」
顔を合わせると乱暴な口調でそっけなく振る舞う紅朱が、ふと垣間見せた本当の気持ち。
日向子は単純になんだか嬉しかった。
紅朱の言葉の裏には単純ではない思いがあったのだが、それはまだ気付ける筈もないことだった。
「そういえば先程玄鳥様を、綾、とお呼びでしたわね? 玄鳥様の本名は綾様とおっしゃるのですか?」
「ああ、言ってなかったか。浅川綾だ。女みたいな名前だろ?」
少し意地悪く笑う紅朱だったが、
「では紅朱様は?」
と尋ねられ、それを打ち消した。
「……き」
ボソッと告げたものの、日向子には全く聞き取れない。
「はい?」
「……錦(ニシキ)」
認識出来る程度に、少しはっきりした口調で言い直した後、間髪入れず、
「でも俺は紅朱だ! この名前では呼ぶな。絶対にな!!」
語気を荒げて言い放った。
と。
「なッ」
紅朱は言葉を失った。
突然、日向子の両目がうるうると揺れて、ハラハラと涙の滴が溢れ始めたのだ。
無色透明な涙の滴は音もなく、とめどなく、とめどなく、頬を伝い落ちる。
「なッ、なんで泣いてんだよ……!? そんなにキツイ言い方したか!? おい!!」
日向子は黙ったまましくしく泣いている。
「黙ってちゃわけわかんないだろ!? どうしろってんだ、日向子! おい!!」
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