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ポロン。
澄んだ鍵盤の音が、不意に響いた。
楔を打ち込まれたように会話が途絶え、全員が音のほうを振り返る。
「日向子ちゃん」
蝉は、振り返り様の日向子に名を呼び掛けた。
「はい?」
「……今日、一緒に帰ろうよ」
「え……わたくしと、蝉様がですか……?」
あまにりも思いがけない提案だった。
蝉は人懐っこい気さくで明るい笑みを浮かべる。
「オレのバイクで送ったげる♪ ……たまには新鮮じゃない?」
日向子はややあってから、
「あ、はい。ありがとうございます」
と素直に返事をした。
蝉は満足そうに大きく頷く。
「じゃ、ヨロシクね☆」
その一部始終を冷めた目で見ていた有砂は、我関せずといった様子で欠伸を噛み殺していた。
「これがおれの愛車。どぉどぉ? カッコよくない?」
新しくはないが隅々まで手入れの行き届いた、鮮やかなメタリックブルーのネイキッド。
日向子はそれを珍しそうに見つめた。
「わたくし、バイクに乗せて頂くのは初めてですわ」
「マジで~? じゃあ遠慮なく日向子ちゃんの初めてもらっちゃおっと」
蝉はどうやら用意してあったらしい、ライトグレーのフルフェイスのメットをそっと日向子に被せた。
「まあ、なんだかドキドキしてしまいますわ」
そわそわする日向子をしばし見つめていた蝉は、
「あのさ」
やがて、改まった口調で話し始めた。
「……万楼と紅朱のこと、サンキュ。二人が歩み寄るきっかけになってくれてマジで助かった」
「蝉様……」
「紅朱はさ、なかなか万楼を受け入れてやれなかったんだよ……自分でもどうしていいか、多分わかんなかったんだと思う」
メットに遮られてはっきりわからない日向子の表情。
蝉は、それでも真っ直ぐ見つめながら告げた。
「今でも紅朱は粋だけを、愛してるから。一人の女の子として」
「……紅朱様……が?」
「あいつら、付き合ってたんだよ。少なくとも紅朱は本気だった」
息を継ぐ間もなく続ける。
「だから今でも粋に帰って来てほしいと思ってるし……粋が知らない街で他の男と一緒に暮らしてたかも、なんて言われたらぶっちゃけそりゃ悔しいわけ。
万楼に対して複雑な気持ちを持つのは当然じゃん?」
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