《第2章 悪夢が眠るまで -solitude-》【5】

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「そう……辞めるのね」 「ええ……元々契約は3年やし、潮時やと思いますんで」 「モデルの仕事は楽しくなかったかしら」 「……普通、かな」 「最高に可愛くない感想ね」  カップとソーサーがぶつかる、硬質な音が響き渡った。 「じゃあ……わたしは? 楽しくなかった?」  テーブルに肘をついて顎を乗せた薔子は、上目で有砂の涼しげな顔を見た。 「楽しくなくはないですけど……」  有砂はにこりともせずに答える。 「毎回毎回、最中に名前間違われるんは、流石に興冷めですね……」  薔子は目をすがめた。 「構わないと言ったのはあなたじゃなかった?」 「……」 「いいわ。追いすがるとか趣味じゃないの。終わりにしてあげる」  華やかな赤い唇に、どこか哀しげな笑みが浮かぶ。 「もう会うこともないかもしれないわね……わたしはあなたの『お義母さん』ですらなくなるんだから」  ネイルで彩られた左手の薬指には、リングがない。 「今度のママは、あなたより年下だそうよ。良かったわね、若いママができて……」  有砂は何も言わない。 「所詮わたしは、もう何年も前から名ばかりの女王だったわ……あなた、わたしをずっと憐れんでいたでしょう? 初めて会った時からずっとそんな目をしてたから、生意気で、許せないと思ってた。 だから汚してやろうと思ったのに、無駄だったみたい……当然よね。 赤く塗り潰しても白薔薇は白薔薇でしかないんだから……」  紫色の瞳から溢れた雫が、カップの水面に波紋を生じる。 「……お別れを言う前に謝っておくことがあるわ。 黙っていてごめんなさい……知らなかったでしょうけど、この数年間、あなた宛に何度か手紙をよこしてきたのよ……有砂ちゃん」  初めて有砂の顔にわずかな動揺が走った。 「……有砂が……?」 「全部、あの人が封も開けずに握り潰してたから、何が書いてあったのかも知らない。 ……だけど、きっとあなたに会いたかっ」 「やめてくれ」  有砂はきゅっと目を閉じて頭を横に振った。 「……期待したくない……それ以上は聞きたないです……」
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