《第2章 悪夢が眠るまで -solitude-》【5】

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「中学生の頃の……本当のおかあさまとのこと、引きずっているのね」 「……」 「確かに……あなたが本格的に心を閉ざしたのはあれからだったものね」  どこか息苦しそうな顔で、有砂は視線を足元に落とした。 「……有砂のことはもうええ。会わないつもりです……もう永遠に」 「……あなたが『有砂』と名乗るのは、決別の証? トラウマになっている名前を自ら名乗ることで、乗り越えたいの?」 「……そうです」 「そうね……決めるのはあなただと思う。だけど」  薔子は組んだ手に乗せていた顎を引いて、姿勢を正した。 「……これが本当に最後。義母親らしいこと、ひとつだけ言うわ」  涙で化粧が少し崩れた顔に、これまで有砂が見たことのないような優しい笑みが浮かぶ。 「いつまでも悪い夢に逃げ込んでいてはダメ。 あなたは幸せにならなくてはいけない人よ。 独りでは難しいなら……誰かを頼ったっていいんだから、ね」  しばしの沈黙の後、有砂はゆっくり立ち上がって、薔子の横を通り過ぎて行った。  薔子は振り返らない。  ドアを開けると、すぐ目の前に日向子が立っていた。  心配そうに有砂の顔を覗き込む仕草に、悪夢の中に置き去りにしていた幼い面影が重なって見えた。  有砂はまた一度きつく目を閉じて、部屋の中で、きっとまだ泣いている一人の女性に最後の言葉をかけた。 「……ありがとう。かあさん」 「でもなんだか惜しい気が致しますわ」 「……何が」 「モデルをなさっている有砂様も、なんだかいつもとは違った雰囲気でとても素敵でいらっしゃいましたもの。 わたくしも思わず見とれてしまいましたし」  サイドシートでにこにこしている日向子を横目で見て、有砂は呆れたように言った。 「ジブン、深く考えずに、誰にでもそういうこと言うクチやろう」 「まあ、そのようなことはないと思いますけれど」 「いや、無意識にゆーてる筈やで」
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