本当の自分

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本当の自分

 自分とは何だろうか。  例えば、他人から観る自分と、自分から観る自分は違うだろう。  時間による変化もある。相手の「第一印象の自分」は今の自分と印象が違うかも知れない。  また、場合にもより変化する。行事や式典などでの自分と普段の自分は違うだろうし、仕事や部活中の自分とリラックスしているときの自分は違うだろう。  この様に、まるで山上の雲の模様のように、人間が変化することはよくある。しかしながら、我々は素朴に、「あの人はこういう人間だ」と思い込んでいる。  年齢や職業、顔つきや仕草、または過去の行動や他人からの噂などの伝聞によって印象を形成する。  今日は自己認識について考えたい。たとえば、「自分はずぼらな人間だ」と思っているところに、友人が「君はマメだねぇ」と言ってくる。その時、自分は「そんなことない」と否定するが、果たしてどちらが正しいのだろうか。友人からの視点は客観性があるが、情報量が少ない。一方、自分自身の評価は情報量が多い。統計学では、サンプルを多く取ればとるほど良いので、統計的には後者だろうか。いや待て。自己評価には、自分自身の観察の他に、他人からの評価もある。「ずぼらなところがあるんだね」と言われれば、納得する。自分の評価は他人が介入する時点で、本当に「自分の評価」であるのかが疑わしい。  しかも、自分を観察していると、矛盾にも気付くだろう。ある日、他人のためにデパートのドアを開けてあげた自分と、今日、後ろに人がいたのに適当にドアを開けてしまった自分がいる。自分は優しいのか、ただ気分屋なだけなのか。   おそらく、情報量が多すぎるし、数値化しにくい情報が多すぎるので、自分の性格を統計的に求めることは無理。しかし、我々は自身の処理能力を駆使して、アイデンティティを形成している。自分を他人と違う傾向のあるものと認識している。  オレの考える「本当の自分」は、「現在の自分」でしかないと思う。正しい自分像はない。あやふやな行動をする自分は否定できない。自分は「なんとなく」こういう性格だと認識している。でも「隠された自分の本性がある」ことはない。本当の自分を探しても意味はない。自分は変えることができる。本当の自分とは隠されたものではなく、今の自分でしかない。探してもムダ。「自分探し」は無駄。そんなヒマがあるなら「自分磨き」をするべき。
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