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悔しい話だが、今こうしてあたしが集中できるのも、実力を発揮できるのも、全て祖父のおかげなのだ。
きっと、祖父から与えられる緊張がなければ、私なんて簡単にやられてしまう。
門下生は紗八を口々に「羨ましい」と言う。紗八にとっては、一体何が「羨ましい」なのかわからない。
剣道に恵まれた環境で育ったから?
祖父のおかげで強くなれたから?
なんてことはない。私は言わば祖父の作り出した人形同然だ。
相手が面を打ち込んでくる。速いはずのそれも、どうしてかゆっくりに見える。
竹刀を僅かに下げ、相手の竹刀が紗八の面に当たる前に、相手の伸びた籠手を強く打った。
「コテあり!」
「あちゃ……紗八さん、ちょっとくらい手加減してくれたっていいじゃないですかー」
面の向こうでおどけた風に笑う彼に、思わず少し吹き出してしまった。
「これでも手加減してますってば。最近あまり調子もよくないですから、その気になれば私なんかには勝てますよ」
「それで調子よくない!?冗談よしてくださいよ!」
無垢に笑う彼につられて笑う。
そんな彼の後ろで、別の若者が待っていた。彼は後ろに気がつくと、一礼して去っていった。
「紗八さん!次お願いします!」
「はい、お願いします」
祖父の視線を感じる。 最早、紗八は祖父無しでは自力で歩くことすらできないのだ。
「お疲れ様、紗八ちゃん。これ作ってみたの、よかったら一緒に食べて?」
「ありがと、お母さん」
控え目に部屋の扉をノックする音がして、開いた扉からお母さんが顔を覗かせた。
その手には、お盆に乗ったチーズケーキとティーカップ。
柔らかく笑う母に笑みを見せれば、安心したように部屋に入ってくる。
お母さんはこの家で産まれ育った割に、洋風文化が好きだった。
こんな風にお菓子をよく作っては紗八に差し入れてくれる。もちろんお茶は日本茶ではなく紅茶。お母さんの趣味で台所は完全に洋風化していた。
「前は少し失敗しちゃったけど、今日は大丈夫。甘さを控え目にしてみたの。あとで感想聞かせてね」
「うん、わかった」
忙しない様子で部屋から出て行く母親の背中を見送って、滴る汗をタオルで拭った。
お母さんもああ見えてちゃんとあの祖父に剣道を叩き込まれていた。けれど、お母さんは少し人より身体が弱かったから、1回試合するだけですぐに倒れてしまっていたらしい。
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