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この町の広場に面した場所に、祖父の店がある。
朝から晩まで開いていて、ご近所さんが、依ってくる、カフェ兼酒場。
祖父は店に名前を付けないものぐさだった。
その、名無しの店を学生時代から手伝っているうちに、気が付けば、僕の生業になっていた。
「今日の珈琲は、孫息子が煎れたな」
口うるさい常連達は、そう言う。不味いとは言わないが、違うらしい。
額縁屋のおやじ、酒屋のおやじ、近所のご隠居と、たまに自分が宅老所にいるような気がするが、それこそ、おむつの頃から知られているので、逆らえない。
僕の子供の頃から老人で、今も、老人。毎日、同じ日々、その堆積。時間がすり抜けていく、場所。
僕は毎日、珈琲を煎れて、酒を給仕する。もう何年も変わらない生活が、昨日、ひっくり返った。
祖父が倒れたのだ。いや、全く心配はしていない。
客と一緒の酒盛りで飲み過ぎて、転んだ、頭を打って、入院した。
という次第で、名無しの店を、預かることになってしまった。
「孫息子、珈琲の味が落ちたら、休業しろ」
額縁屋のおやじは、初日、朝の一杯を飲むと、そう言い、自分の店に引き上げる。この額縁屋のおやじが一番、厳しい。
その日、初秋の風に誘われ、夜には雨が降り始めた。
夜の営業は、きっかり零時に終わる。常連さん方が引き上げた店を片付け、ゴミ箱を外に出す。
雨の町に、人通りはない、はずだった。
その夜は、違った。
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