カナリア 1

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 自分の、三人の娘達は、ヘミングウエィの猫の名前をつけ、息子はジュニアと呼び、孫は、サード。 「…何時からうちの店は、カフェ・モミュスになったんですか」  アーネスト祖父は、ただにこりとする。 「時給680円、週払い」  僕が言うと、祖父は驚き顔になる。 「サードよ、せめて700円だろう」 「常連さんに気前よく酒を奢る店主のせいです」 「小さい頃は、もっと可愛い子だった…」  泣き真似をする祖父に、僕は知らん顔をした。  病院からの帰り道、僕は祖父に伝えなかったことに、内心、戸惑い、どこか浮き立っていた。  彼女は、店に、住み込む。だって、捨て猫、迷い猫、行く場所なんてないのだし。  その晩、何時もの時間にやってきた、額縁屋のオヤジは、彼女を不躾な程見つめていた。  ミミ、は笑顔を絶やさない。客あしらいも慣れていた。  食後の珈琲を飲んだ額縁屋のオヤジは、僕をじっくりと見つめ、酒屋のオヤジはにたりと見た。 「孫息子、浮つくな」  額縁屋のオヤジはそう言い店を出る。酒屋のオヤジは、肉厚な手で、僕の肩を叩いて出ていった。  お客の去ったテーブルを、彼女が布巾で拭いている。  ミミは、歌っている。  気付いていないが、楽しそうに、歌っている。  オーバー・ザ・レインボー。  その歌を聞きながら、僕はサイフォンを洗う。  きっと後悔する。  きっと泣くことになる。  そう分かっていながら、心の奥が疼き始めていた。  仕事が終わった土曜の夜、最初の給料を、ミミに渡した。  彼女はその封筒を胸に抱くと、晴れやかに微笑む。  僕はその笑顔から目を逸らすと、石窯の手入れにかかる。 「明日はお休みですから」  些かぶっきらぼうに僕は言った。 「靴を買いにいきたいので、お付き合いいただけます?」  ミミの言葉に、内心慌てていた。  着のみ着のままのミミは、伯母達が残していた服を着て、靴もそう。  彼女の小さな足から、靴はよく逃げ出して、酒屋のオヤジがその華奢な身体を抱き止める栄誉を得ていた。
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