缶チューハイの昼

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 繰り返される毎日に嫌気がさして学校をさぼった。なんてのは建前。嫌気がさしたのは毎日じゃなくて何も変われない自分自身。  まわりにどんどん取り残されていくような気がして、その感覚が加速すると分かっていながら逃げ出したはずの俺は、結局こうしてうちひしがれている。昼間から安い缶チューハイを呷ってみたけれど、胃のあたりがむかついたくらいで世界は何も変わらなかった。つくづく、どうしようもない。  大好きなバンドが同じ毎日なんてどこにもないと歌っていたけれど、それくらい知っているんだ。毎日どころか、俺の世界は俺の感覚と思いこみで成り立っているから、俺以外の世界とは何一つ同じではない。どうしたって俺だけの生がこの耐え難い一瞬の間にも作られ続けている。自らの意思で生まれたわけではない、与えられた命だ。ただ、やはり世界の創造主は自分以外にありえなかった。  それを知っている。それがとても有り難いことで素晴らしいことだと分かっている。けれど、それが素晴らしいと思うことが当たり前だという風潮はあまり好きではない。当たり前も、普通も、常識も、異端者も、異常も、非常識も、そんな言葉はあってないようなものだ。呆れるほどに世界は自分を中心に回っている。気が狂いそうなほどに俺は俺を甘やかして生きている。  それが、嫌だ。人に優しくなれない自分が、嫌だ。そういいながら、昼間に缶チューハイを呷って胃にむかつきを覚えている自分が情けない。そんな情けない自分を許している自分が、何を思っても何も変われない自分が、嫌だ。そうであってもどこまでも自分のことが大好きな自分が、嫌だ。馬鹿馬鹿しい。堂々巡りだ。  まわりはどんどんと先へ進んでいる。置いていかれる不安が日々募っていく。積もっていく。積み重なっていく。堂々巡りのこの気持ちも、ループではなく螺旋状であれば救いと呼べるのだろうか。  繰り返される日々に嫌気がさして学校をさぼった。なんてのは建前。嫌気がさしたのは日々ではなくて俺自身。安い缶チューハイで胃もたれして、慣れないアルコールに求めた解放感も味わえないままに日が過ぎて行く。  嗚呼、こんな一日もいいかもしれない。  世界をつくった創造主は、また無駄な一日を肯定して歴史とした。今度、ジャズでも聴きに行こう。 20101213 待たせたね相棒、俺の世界。 もうしばらく大丈夫、ゆっくり歩こう。
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