第二章

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何もない。 静かな場所だった。それは虚無とも呼ぶべきか。 ―‥あぁ、そうか。 椿は妙に落ち着いていた。 ―‥私、死んじゃったんだ。 先程までの看護士がバタバタと走り回る音や、血圧計の膨らんだり萎んだりする音、さらには病院特有の消毒液の臭い。八神のやさしい声、雪子や義樹の心配そうな息づかい。全てが自分の周りから消えていた。 ―‥ここは、どこだろう。 ふと自分が今どんな状態なのか気になった。 目を開けてみる。 黒い。 目に映った‥というよりも、自分が目を開けたのか疑問に思うほど何も見えなかったのだ。 そもそも、死んでしまった自分に身体が存在するのだろうか。 ―‥そっか。死んじゃったんだから身体なんてないんだ。目を開けてみようと思ったけど、身体がないんじゃまばたきもできないんだし‥。 妙に納得してしまい、椿は今自分の意識だけが存在しているんだと思うようにした。そう思っていた方が色々考えを巡らすより楽だと思ったのだ。 ―‥これからどうなるのかな。このまま、この何もないところに意識だけ残されるのかな‥。 ゾッとした。 意識だけ取り残されて、このまま時間の感覚もない場所で、何もない場所で何をするわけでもなく、何をできるわけでもなく、ただ思考を巡らすことしか許されていない場所でいつまでともわからない時を過ごさなければならないのだ。 入院生活が始まっての一年間、話すことや身体を動かすことは出来なかったが、家族の温かさを感じた。風や、その風が運んでくる季節の香を感じた。陽の光を瞼越しに感じることも出来た。だから、たしかに辛い入院生活だったが自分が出来る僅かなことで、小さくはあるが幸せを感じることが出来ていたのに、この空間ではそれさえも奪われてしまっていたのだ。 ―‥生きるのを諦めた自分にはお似合いの場所なのかも。 生きていた時が輝いて見えるのは、今そこには戻れないと知っているから。 ―‥でも、でも! 椿は大切な人たちの顔を思い出した。 ―‥もう一度、戻りたい!お父さん、お母さん、大地‥‥八神先生!もう一度、会いたいよ!こんな形でさよならなんて‥嫌だ!!
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