十三の巻

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十三の巻

常盤帝は悲願であった一の宮、綾仁親王を帝にすることができ、安心したのか、床についてしまった。 幼少の頃は頼りにしていた左大臣、藤原悠惟の存在が重荷になっていたことだろう。 瀧宮帝の中宮、沙子の方もまた健康を害していた。 沙子の方は二人の皇子を産んだ。 しかし一の宮は六歳で急死した。 謀殺ではないか、毒を盛られたのでは…と憶測が飛んだ。 伯父、藤原悠惟に疑いがかけられたが、沙子の方は悠惟大臣の妹の子だ。まさかと母と思案したものだ。 その後、二の宮に皇子を授かったが、難産の末に生まれた子で弱々しい赤子だった。 わずか数日で命の灯は消えてしまう。 帝は沙子を中宮にした。今や藤原悠惟の圧力がない安泰な世が訪れていた。 敦仁親王は女御、那子の方と生まれたばかりの皇女、耀姫を連れて、御所から二条の屋敷に移った常盤院は中宮・燿子の方泰仁親王と仙洞御所に、移った。 しばし安泰の世が続くように見えたのだが、やはり時の流れは藤原氏に向いていくようだった。 瀧宮帝の御世も長くは続かなかった。 敦仁親王の生母、明石の更衣が病により他界する明石の方の名は侑子、明石出身のため、明石の姫と呼ばれていた。 敦仁親王は、母の故郷、故郷、明石の地に埋葬し、弔うために出家すると申し出た。 明石といえば、遠く西国の未開の地だ。 父は権中納言の地位がありながら都を捨て、明石の地で明石入道を名乗っていたが、姫が成長するに従い、美しさを増していくのを、都を捨てたことを悔やみ、母と上京し、つてを頼り常盤帝のもとに輿入れしたようだ。那子は、皇女、耀姫を連れて同行することにした常盤帝の中宮、燿子の方は耀姫が成長するにあたり心身が不安定になっていた。 このままでは中宮が倒れるか、秘密が表面になれば泰仁親王は東宮になる前に後ろ盾を失い立体子が難しくなる。 そんなことになれば、耀姫が生母から引き離され他人として育った意味がなくなってしまう。 耀姫の身を守るためにも京の都を離れるのは、得策と見た。 これにより養父、慧仁親王や兄、姉たちとも最後の別れになる。 でも那子は耀姫が成長したら京に戻るつもりでいた。帝の皇女である耀姫を田舎にうずめるのは神の怒りを買うと信じていた。
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