十三の巻

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その後、瀧宮帝のまわりでは不幸が続いた。 退位後、病についていた父帝が他界、強力な後ろ盾だった慧仁親王が他界、東宮、智仁親王が他界と相次ぐ不幸に、譲位を決意、中宮、沙子も近親の不幸に出家を強く望んだことも理由の一つで、五年の帝位を降りた。 東宮妃、椰子の方は、一の姫、杏子を弟、晴仁親王に預け、出家した。 東宮の智仁親王が逝去したため、新東宮選びが行われていた。 この時、候補に挙がったのは、 ①紘仁親王…樺讃院の二の宮、正妻には、常盤帝の五の宮、寧子内親王、生母は女御、瑛子の方。藤原悠惟の妹。 ②晴仁親王…崇司帝の二の宮、宮妃には常盤帝の二の宮、琳子の皇女。 ③敦仁親王…生母は菖蒲殿の更衣、明石の方、宮妃は崇司帝四の宮、那子内親王 ④泰仁親王…常盤帝と中宮、燿子の方の皇子、藤原悠惟の切り札。 敦仁親王は、すでに西国へ行っている 泰仁親王はまだ五歳と幼い。 紘仁親王と晴仁親王は、いずれも羚泉院の家系で今回の帝候補にあがる。詮議の結果、晴仁親王が新帝に決まる。 紘仁親王と晴仁親王の決定的な違いは生母の身分にあった。 紘仁親王は、位なき女官の子、晴仁親王は、女御が母。東宮に紘仁親王が立太子することになる。藤原一族が権力を持っていたなら、中継ぎの東宮になっていただろう。 晴仁親王は、久御山帝を襲名した。
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