十三の巻

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こちらも悲願だったのかもしれない。 父が退位の後、東宮に推挙されたが、時の左大臣に蹴散らされたばかりか仏門に入れられた。 もはや帝の位が回ってくるとは思っていなかった宮家のころは静かだった周囲も、われ先にと娘を輿入れさせようとしていた。 中宮となった琳子は、出産が難しい体と医師から宣告を受けていた。 何度も流産を繰り返し、生まれ育った御所に戻ると名残のある桔梗殿に入った。 帝には、他の女御を迎えて子を皇子を設けるべきだと助言した。 <いらぬ心配だ。私はそなただけでよい。中宮さえいてくれれば> <崇司帝の血統が途絶えてしまいます> <無用だ。東宮、紘仁親王には皇子がおる。それに忘れてはいないか、そなたがわが子と育てている杏子は先の東宮の姫だよ。立派な羚泉院系の皇女だ。心配は無用だよ。それに次の東宮は泰仁親王だ。 いずれ泰仁親王を藤原悠惟は、東宮にとごり押ししてくるだろう。いずれ大臣の位も手に入れるだろう。見極めて引きずり降ろされる前に退位するつもりだからね。だが紘仁親王を中継ぎの東宮になどはしないだろうな。宮妃の寧子殿は、そなたの異母妹だし、ご生母は藤原悠惟の妹だしね>崇司帝の子供たちは、みな時の左大臣、藤原悠惟に幼いころを翻弄された記憶は根強く残っていたし、妹の那子が姫を産んだのも疑念を残していた。生まれた姫にもしばらく会わせてもらえなかった。燿子中宮のお産ののち、そのまま里下がりして姫を生んだ。 燿子中宮のお産で何かあったことはまちがいない。 遠く西国に行ってしまった敦仁親王と妹、那子を思い出していた。 もう二度と会うことはない。 御所は晴仁に取ってもふるさとだ。記憶はほとんどないが。 晴仁の任期は、平穏だったが、東宮の成長とともに藤原が返り咲いてくるのを見ていた。
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