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十四の巻
久御山帝の御世も五年が過ぎ、東宮、泰仁親王も生母のもとで元気に育っていった。
泰仁親王と同じ年になった時に、父、崇司院は、藤原悠惟に帝の地位を引きずりおろされ、子供たちも八方へ散らされたのだなと考えふけるようになっていた。
中宮琳子も、長く伏せり養女、杏子内親王の輿入れを待たずに先に逝ってしまった。
泰仁親王の女御にとあちこちから話しが入ってくるようになった。
さらに杏子姫を泰仁の女御にと女院となった、燿子中宮からも話しがきている。生母が叔母でもあることに親近感を持っていたし、幼いころからの遊び相手でもあったから。
落ち着かない矢先、花見の詩会で毒を盛られ、今は床についてしまっていた。
幸い微量で命に別状はなかったが、警告かもしれない。
帝の地位を降りよと。
このまま帰らぬ人になれば楽だったと思うのだがまだ養女、杏子の輿入れも決まっていない。
この姫を残して死んでは養父として自分と姉妹を育ててくれた慧仁親王に恩返しができない。
正直、悩んでいた。
気心知れた泰仁親王のもとがよいのか、だが祖父藤原悠惟に邪魔にされはしないか、それならば、同じ家系の、東宮家の樋仁親王の元がよいか。今、東宮に位を譲らねば、本当に東宮、紘仁親王は中継ぎとなってしまう。
弱気な心からついに久御山帝は譲位の意志を固めた。
さらに杏子姫を樋仁親王へ輿入れさせることにした。
泰仁親王は東宮となり、東宮妃に、われ一番と、藤原聡惟の娘、依子が輿入れしてきた。
聡惟は中将の位だが、正室には、樺讃院の姫、葵子の方だ。さらに祖父は藤原悠惟なのだから。
だからこそ、佐雅院は東宮の後宮に杏子姫を入れるのをやめ、次の東宮妃となるであろうと目し、樋仁親王のもとに輿入れさせ、安堵した。
姫の輿入れを見届けたように静かに眠りについてしまった。
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