四の巻

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母代を勤めていた中宮・燈子の承諾もないまま、右大臣の藤原悠惟の承諾もないまま、内待・妹の忘れ形見の幼い姫を仏門に入れたことで、崇司帝は、怒りを買い、譲位を迫られた。 だが悠惟右大臣、腹の中では、よくやってくれたと喜んでいた。 東宮もようやく、10歳なんとか譲位させて、幼い帝を操ろうと探っていたのだから。 結局、崇司帝は心労から病に臥し、若き東宮に譲位し、常盤帝が誕生する次の東宮には、二の宮・晴仁親王をと、懇願したしかし、ここは古狸の藤原悠惟。 晴仁親王の幼さを理由に却下、次の東宮は羚泉院の末息子の慧仁親王にきまる。 これだけではない、生前に崇司帝を出家させ、梨壺の女御も出家させられた。 残された子供たち、晴仁親王は、仏門にいれられた。3歳である。 それだけではない、通常占いで決まる斎宮にも、強引に那子内親王を抜擢する。こちらはまだ二歳反論は通らない、生母も仏門に入っている。 こうして崇司帝は、藤原悠惟の手中にはまり、子供たちを不遇な場所に送り生母と引き離してしまった。 後悔の念の中で静かに世を去って行った。 残された燈子も病に臥しひっそりと里屋敷で暮らしていた。 次兄帝の忘れ形見となり手元に残されている、三ノ宮、沙子の皇女を慧仁東宮は猶子として手元に引き取り、皇女としての教育を行うと藤原悠惟に告げた 東宮の申し出を断ることはできず、いずれの皇子に嫁がせるには、東宮の猶子であることに不利はない。 皇帝一族に、藤原一族としての根回しはできていくと、ほくそ笑んでいた。 慧仁の真意も知らずに。
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