五の巻

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五の巻

常盤帝の御世は、左大臣悠惟のもと、平穏な日々が続いていた。 常盤帝の後宮に娘を輿入れさせる準備があちこちで、囁かれ始めていた。常盤帝、13歳の時、樺讃院の内親王、華子が初の輿入れとなった。 母は伊勢から戻って以来床に臥し、後ろ盾のないまま、輿入れした自分の二の舞にはなるまいと。自分が生きているうちにと。 その後、我こそはと、次々に女たちが入輿してきた。 左大臣、藤原悠惟の妹、瑛子も入輿してきたが、帝の寵愛は一心に華子に向けられた。 樺讃院の皇女であり斎宮も勤めた彼女の気品、優雅、繊細な心使いに帝は惹かれるのを止められなかった。 生まれながら帝になる宿命を受けていた親王時代。周りは大人ばかり。 父は出家し母は里に戻り会うことも、数えるほどに兄弟もおらず寂しい思いのまま、大人になった。 華子は桔梗殿の女御となり寵愛の証しか、次々と子を産んだ。 産後すぐに帝からは、御所へ早く帰ってくるようにと矢継ぎ早な催促。 生母、瀞子は、娘の輿入れを見届けて、すでに 他界していた。 女御、華子は一の宮に、待望の皇子を生んだ。 母に皇子を抱かせてやりたかったと涙する女御ではあった。 二人目には、皇女、三人目にも皇女を続けて産んだ。 一の宮の皇子は綾仁親王二ノ宮の皇女は琳子内親王、三の宮の皇女にも薫子内親王と、名前も付けられ、親王の宣言も受けた。数年後、わずか10歳で左大臣の娘、燿子が輿入れしてくるまでは、後宮は、穏やかだった。 華子は皇子を生んだ後、中宮となったが、薫子の産後は床に伏しており、他の女御たちは、今こそチャンスと帝のお子を願ったが無事に生まれた子はいなかった。 影では、藤原悠惟に堕胎薬を飲まされているのではないか、その前に妊娠を防ぐ薬を飲まされている。毒を盛られるらしいとの暗躍な噂が絶えないところへ、わずか10歳で左大臣の娘、燿子が藤壺殿に入輿してきた。 幼い姫に夜のお召しはない。 そして悠惟の目から逃れて菖蒲殿の更衣、明石の方が皇子、敦仁親王を無事に生み、左大臣の妹、梨壺の女御、瑛子が、皇女、枇子(ひろこ)を生み、また皇女かと、悠惟は残念がり更衣に先を越されたと憤った。 だが身分は、瑛子に取っては格下。東宮争いに問題はない。 もちろん、本命は娘、燿子、妹ですら、中継ぎにしかならないのだ。 他の女御を抑えこんでいくために送りこんだのだが、帝の寵愛は今だ、華子にある
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