1人が本棚に入れています
本棚に追加
「ねぇ、林檎、食べないの?」
君はただ大人になっただけ。僕がそうさせたんだったか。二人は何も間違っちゃいない。何も変わっちゃいない。
君は左手で林檎のカケラを摘んで、僕の口に運ぶ。奥歯で繊維を噛み潰せば、酸味が舌の上へと染み出した。どうってこたぁ無いな。ただの安い林檎の味がしただけ。
無理に、君が無邪気に微笑んだりするのも。終わりのこない夜が張り巡らされているこの部屋も。僕にはもう耐えられそうに無いと気が付いてから、幾つの夜を迎えただろう。
シャクシャクと林檎をのんびり咀嚼する間、君はいとも簡単に僕の掌を解いて、ベッドへと向かった。僕が吐こうとしている次の台詞から、逃げるかのように。君は毛布に包まり、全然眠たそうじゃない声で僕に告げる。
「愛してる。おやすみなさい」
優しい微笑みの奥底で、君はいったい何を想っているの――僕は今夜も聞けず仕舞いだ。
重い腰を持ち上げて、余った林檎の皿を冷蔵庫に運ぶ。それからテレビを消して、電気は豆電にする。歯磨きは、君に倣ってやめておこう。
それからベッドに潜り込んで、何を言うべきかを考えた。背中越しに伝わる君の熱と、寝息のリズムが、僕の調子を狂わすばかりだった。
離れがたいのは僕の方。告げなくちゃならないのに、期待したい気持ちに邪魔されて。流れて、流されて、緩やかに色褪せていく、僕らの世界。
愛してるのは、真実だよ。嘘じゃないんだ。夢で逢えたら、抱き合いたいさ。
――さようなら。また明日。
「……おやすみ。愛してるよ」
君の背中が震えたのはきっと、僕の都合よい気のせいに違いない。
最初のコメントを投稿しよう!