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林檎の皮を剥いている君の後ろ姿を見つめてみる。僕と付き合い初めてから一度も切ったことが無い、艶やかに垂れた黒髪。包丁の扱いも、もうお手の物だ。
もしも一度だけ、あの日の君に会いに行くことが出来たら、何かが変わる気がするけれど。僕らにとって何が一番良い選択なのか。幸せに鈍くなってしまった僕らは……今もまたこうして、無駄な時を費やす。
僕から告げなくちゃならないのに、僕は自分でも呆れるほどに臆病者だった。
深夜の液晶テレビは、つまらない雑音を垂れ流し続けたままで。行く先すら分からない、僕の思考の邪魔をしてくれそうにもない。
一週間前――僕が揃いのグラスを壁に放り投げた時、君は泣いていた。泣きわめくわけでもなく、我慢するそぶりもなく、ただ静かに涙を零した。君がしゃがみ込んで割れたグラスを拾い集めていた時、何を思ったのかは聞けず仕舞いだったよ。
実は僕もあとでこっそり泣いていたんだ。あんなことしたかった訳じゃなくて。どうしてこんなにも悲しいのかが……どうしても、分からなくて。君を傷付けるという行為の代償を、考える余裕すら無かったんだ。
「林檎、剥けたよ」
ソファに帰ってくる君。その瞳は重苦しい空気に冷やされたフローリングに注がれたまま。さらさらの髪の隙間から見えた右頬は、林檎色の陶器みたい。
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