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  「全く、こんな風に育てた覚えはないぞ。お前には大日本帝国の臣民としての誇りはないのか!」  また、だ。  ふすまの向こうから聞こえてくる罵声に、薄香(はっか)は寝返りを打って、布団を肩の上まで引き上げた。ぎゅっと目を瞑る。酒気を孕んだ声は、大きくしゃがれていて、その矛先が自分に向けられたものではないと解っていても、薄香はいい気分がしなかった。  灯りの消された室内。薄暗がりをじっと見据えながら、ふすまの向こうの嵐が収まるのを待つ。  ここ最近は、毎日、こんな調子だった。  毎夜、父とおじさんの二人は、揃って代わる代わる眞臣(さなおみ)をなじる。酒の力を借りて、罵る言葉は次第に口汚いものになっていく。  夜も更け、今宵の酒が底をつくまで、耳を苦しめる喧騒は続いた。  布団の中で、胎児のように身を丸め、耳をふさいでいた薄香は、ふすまの向こうがようやく静かになって、ホッと力を抜く。  畳を擦る足音がして、体の向きを変えた。ふすまが開き、居間の明かりが差し込んでくる。まぶしさに、顔をしかめたのは一瞬のことで、すぐにふすまはまた閉じられた。 「起きてますか? 薄香さん」  後ろ手にふすまを閉めた眞臣は、吐息だけでそう訊ねた。 「ええ。起きてるわ」  答えながら、薄香は布団から身を起こす。  暗がりの中、眞臣が微笑む気配がした。彼は薄香が横たわっていた布団の枕辺に歩を進めると、手にしていたお盆を脇へ置いた。お盆の中には、水差しとコップ、薬が置いてある。 「幸代おばさんから預かってきました。飲めますか?」  答える代わりに、手を伸ばす。眞臣はひとつ頷いて、薬の包みを薄香に手渡した。薄香が包みを開いている間に、水差しから水を汲む。 「今日も盛大にやっていたわね」  眞臣から受け取った水で、粉薬を流した後に、薄香は言った。眞臣は少し困ったように首を傾げる。 「ええ。今日も盛大にやられました」  告げる声音に、悲嘆の色は見えない。暗がりの中だが、彼がいつものように穏やかに微笑んでいるのが、薄香には解った。 「馬鹿じゃない」  薬の包みを、ぐしゃりと握り潰す。 「お父さんとおじさんが、一緒になると手がつけられないの、知ってるじゃない。なら、わざわざうちなんかに来ることないのに」
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