戦国武将には、ゲイが多い?

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このような話は、武田信玄のみにあった話ではない。 あの織田信長も、家臣の前田利家を溺愛していたし、奥羽の独眼竜、伊達政宗は片倉重長。 越後の龍、上杉謙信は直江兼続。 天下人、徳川家康は井伊直政。 と、例を挙げたのはほんの一部でしかない。 なぜ、戦国武将にはこれほどまでにゲイが多かったのか。 実は、彼らはその関係の事を、周囲に隠そうとはしなかった。 周囲の人間も、その関係を知っていたとはいえ、誰もそのことを不審に思わなかった。 このことから、当時の同性愛は現代でいう変態的な意味は無く、一種の文化として確立されていたとわかる。 このような文化は、幕末にはほとんど廃れ、明治維新以降にはキリスト教的な価値観が流入したことにより、その行為は異端視されるようになる。 とはいえ、そんな武田信玄や織田信長も、後世にしっかりと実子を残しており、あっちの方はしっかりとしていたらしい。 ただ、上杉謙信に限っては実子は一人も残しておらず、妻も一人も娶らなかった。 すなわち、謙信は女性と関係を持った事が無かった可能性が大いにあると言える。 謙信だけは、本格的に男好きだったのかもしれない。
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