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海外でトイレに入ると、高い位置にある小便器に四苦八苦することが多い。
私が小柄なせいもあるのだけれども、何しろ便器の高さがほとんど股の位置と同じくらいだったりするのである。
しょうがないから、そんな時は放水作業をする「大砲」の角度を若干上側に調整して、小便が描く放物線をうまく調整しながら放水をすることになる。
そんなふうに神経を使う放水作業をしていると、
「もう少し小柄な人のことも考えてくれぇ」
となんだか腹が立ってきたりもする。
しかも、そんな位置の高すぎる便器にはたいてい、“American Standard”なんて刻まれていて、人の気持ちをさらに逆なでしたりするのだ。
もちろん、それは単に便器メーカーの社名であるのだけれど、それでも「アメリカンスタンダードだ」「アメリカでの標準だ」なんて言われれば良い気持ちがするわけはない。
「この高さがアメリカ人の標準デ~ス。アナタの大砲の取り付け位置は低すぎデ~ス」と便器にバカにされているような気になってしまい、思わず「それは余計なお世話デ~ス。アメリカの標準に他人を押しつけないでほしぃのデ~ス!」と思わず便器に言い返したくなったりするのである。
確かにアメリカンな標準大砲は「取り付け位置」も高いし、大砲は長くて口径も大きい。
そのせいで、射程距離だって確かに長く、高い便器でもまったく苦労しないかもしれない。
しかし、必ずしも大砲がデカけりゃいいってわけでもないハズである。
たとえば、かつて我が日本は大艦巨砲主義に固執し巨大戦艦「大和」を作り上げたわけだが、その大艦巨砲主義が時代の流れに取り残されてしまったことは「戦艦大和」の悲劇が証明しているとおりである。
それと同じように、「放水の大砲」におけるアメリカンな「大艦巨砲主義」だって、時代の流れ・時の流れに取り残されることがあるのではないだろうか。
「これがアメリカの標準サイズなのデ~ス」と言い放つオバマ大統領率いるアメリカン大艦巨砲主義だって時代の流れ・時の流れを考えてみれば、どこかに「落とし穴」があるのではないだろうか。
とワタシは考えたのである。
つまりは、高すぎる便器にハラを立てたあまりに、私はなんとかアメリカン・スタンダードな大艦巨砲主義になんとか「落とし穴」を見つけようとしたのである。
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