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その後の秀吉の行動は早かった。直ぐさま、毛利方と講和を行った。また、毛利方に信長の死を悟られぬよう、街道ごとに見張りの兵を置いた。そして羽柴軍は上方に向かった。
これが世に言う”中国大返し”である。
両軍が衝突したのは、6月13日のことであった。山崎の戦いで先に天王山を制した羽柴軍は、見事明智軍を敗走に追い込んだ。明智光秀は近江坂本城へ逃げ込もうと退却をしたが、途中京南郊の小栗柄にて、落ち武者狩りをしていた土民の手にかかり、55年の生涯を閉じた。
このあまりに短い天下を人々は「光秀の3日天下」と呼んだ。
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