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6月27日、主君織田信長亡き後、今後の方針を決める会議が清洲城であった。清洲会議である。話題はもちろん織田家の跡目についてである。
「わしは、信孝様を推挙する」
柴田勝家がそういうと、
「いや、柴田殿。信孝様は三男にございまする。次男たる信雄様が跡取りとなるのが、道理ではないか」
と池田恒興が言った。
「そなた、信孝様は事実、亡き上様の次男でござる。さらに、信孝様は上様の弔い合戦では、総大将として参戦し、見事逆賊明智光秀を打ち破っておいでぞ」
確かに、信孝は生まれた時でいうと、次男である。母親が信長の側室で身分が低いうえ、出生の報告が遅れたために、三男となってしまった。また、本能寺の変勃発時には、堺におり羽柴軍と合流し、名目上の総大将として、山崎の戦いに参加している。
会議は長時間に及んだ。
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