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そうして、僕は件の待ち合わせ場所、喫茶店『ピアノソナタ』に辿り着いた。
五個の鈴が付いたドアを押し開け、ちりんちりんという清涼な音を拡散させて店内に踏み入る。
するとすぐに、待ち合わせ相手がテーブルに肘をついてあらぬところを眺めながらストローをくわえているのを見つけた。
『お一人様ですか?』
と声を掛けてきた店員を
『待ち合わせです』
と躱し、僕はそのテーブルの向かいの席にサッと座った。
「遅れてごめん」
と月並みな謝罪で話し掛けると、待ち合わせ相手は宙空から僕の目に焦点を合わせ、
「そう」
と呟き、ストローから口を離して立ち上がった後。
・・・僕の顔に、思い切り振りかぶった平手を叩きつけた。
水面を板で叩いたような耳を聾する音と共に、僕の頚椎は60度の回転を余儀なくされる。
左頬から広がったパァンというある種爽やかな破裂音は、店内に流れるエオリアンハープの旋律を数秒間弱め、他の客の視線を僕たちに集めた。
「・・・・・・遅れてごめん」
もう一度向かいの相手にそう言うと、僕は顔面の筋肉の反射で零れた涙を拭った。
そして、待ち合わせ相手はしばらく僕の頬をはたいた己の右手をさすってから、
「・・・・・・・・・・・・・・・こちらこそ、ごめんなさい、ですよ」
と言って席に座った。
それと共に、相手はさっきまで啜っていたグレープジュースのグラスを僕の方にスライドさせた。
「どしたの?」
と僕が尋ねると、
「分かってるのに聞き返すのはだめ、ですよ」
と待ち合わせた相手さんは膨れっ面した。
・・・どうやら、自分の唾液がどっぺりついたストローで、さらに唾液が混じっているグレープジュースを飲めと言いたいらしい。
「ふん、それくらいで償った気になっているのかな■ちゃんずびびびごくごくごくごくごくごくごく」
「●先輩の篭絡成功、ですよ」
「ごくごくごく・・・・・・はっ!?」
ち、違うんだ。グレープジュース/■ちゃんの唾液ミックスを堪能してしまったのは・・・えーと、その、そう、不可抗力なんだ。そうさ仕方ないことなんだ!! なんて、気の狂った弁解を試みようとしたけれど、■ちゃんの不敵な笑みを目にして戦意を喪失。
周りの客は「なんだバカップルか死ねよ」とぼやいたりぼやかなかったりしつつ僕たちから視線を外した。
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