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「見送りもやけど、ひとつ頼みたいことがあって」
「私に?」
そう、と笑って、一錠は誰かに向かって手招きする。
やって来たのは、宵待だった。
「この子も一緒に連れていってくれますか」
不服そうな表情の宵待は、偶像崇拝の方を見ようとせず、顔を背けている。
「そうか、彼は赤月を離れるんだったね」
「そうなんですよ。ええ加減飼い主に返したらなあかんし」
「ああ、月欠か。確かに拗ねてそうだ」
宵待には向こうに友人がいるらしく、その人がずっと帰りを待っているのだそうだ。
皆、帰る場所があるんだな。
僕はしみじみ思いながら、小さくため息をついた。
正直、今この辺りにいる裏の人間で一番強いのは、宵待か偶像崇拝だ。
その二人ともがいなくなってしまうというのは、かなり大きな変化になる気がする。
赤月の地位をひっくり返そうとする輩だって出てくるだろうし、偶像崇拝の信者を狙う奴も多いらしい。
僕たちの日常は、きっとこのままではいられなくなるのだろう。
でも、それも仕方のないことだ。
この世界が平和であるはずがない。
「寂しいけど、僕がそっちに行くことも多いから、そんときはまた可愛い弟でいてや、由良」
あえて、一錠は宵待をその名前で呼んだ。
「……もう少し後で良いって言ったのに……まあ、生きてるうちはまた会えるだろうけど。だから、死なずに生きてろよ、唯」
その言葉はどこか皮肉で、でも、多分きっと愛情に満ちていた。
「それから」
ふと、思い出したように一錠が顔をあげる。
視線の先には夢遊病。
「色々と、迷惑かけたな」
「……いや、もういい」
「昨日の敵は今日の友、ちゅうことで、ええか?」
「……軽すぎ」
ですよね、と笑って、一錠は寂しげな笑みを浮かべる。
「でも、まあ、吹っ切れたし。むしろ俺は寓話作家とか、人形屋に迷惑かけたからな」
夢遊病は、本当に申し訳なさそうに僕を見た。
翼壱さんのことは、確かにまだもやもやと心に陰を落とすけれど、時間は戻らないし、互いに何かを守ろうと必死だったのだから、こうなる運命だったのだろう。
それで納得できるわけではないけれど、夢遊病が後悔しているなら、まだ救いもある。
さやかさんは結局夢遊病の顔は見れないと言って、今日はここにはいないけれど、時が経てば、少しは向き合えるようになるのだろうか。
「先生、いつかはこっちに帰ってくるんですよね?」
「ああ。その時は、敵じゃないはずだ」
いつ、誰と殺し合うことになるのかわからない世界。
情なんてなく、優しさなんて儚く、痛みだけは鋭くて。
そこでまた、この人に再会したとき、その時は、せめて手を取り歩める味方でいたい。
「気をつけて」
僕は、夢遊病の綺麗な顔を見上げた。
微かに、夢遊病が微笑む。
「ありがとう、寓話作家」
別れはいつも寂しいけれど、生きていればまた会える。
だから、精一杯、この世界を生き抜こう。
決意を胸に、僕は三人の背中を見送った。
「行ってしもた」
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