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その③鎌倉公方と『上杉禅秀の乱』
尊氏の三男の基氏の子孫が代々就任した役職は『関東管領』から『鎌倉公方』(かまくらくぼう)という肩書きに昇格します😃
『公方』(くぼう)とはすなわち、将軍様に対する家臣たちの呼び名であり、名目上、京都と鎌倉の両方に将軍様がいるような感じですが、あくまでも名目だけの話です😱
そんで、鎌倉公方を補佐するという触れ込みで、新しい関東管領が幕府から派遣されます🐴
それが、足利尊氏の奥方さまの実家の上杉氏でした✌
ただ、補佐とは建前だけの話であって、実質的に関東の政治を仕切る権限は、上杉氏にありました😱
つまり鎌倉公方は単なる『飾りもの』でした😱
幕府は、そこまで鎌倉公方をないがしろにしました😱
そりゃ怒るだろ💢💨
それで鎌倉公方と関東管領は、たがいに意見が合わず、すごく仲が悪かったのですな😱
そんで、先にブチ切れたのは、関東管領の上杉氏でした💢
応永23年(1416)、四代将軍 足利義持(よしもち)の時代に、上杉禅秀(ぜんしゅう)という、前 関東管領やってた人なんですが🐴
四代鎌倉公方の足利持氏(もちうじ)を討伐するための挙兵をします〓
いわゆる宣戦布告ですな😱
ところが、幕府は鎌倉公方に味方した‼
ケンカ両成敗なんて言うけれど、やはり先に手を出した方が悪かろうと😁
それに、鎌倉公方は、実質的な権限が薄いとはいえ、名目と格式だけは関東管領よりも上だったわけで…😔
そんなこんなで反乱は鎮圧されてゆくのですが…😣
足利持氏は、残党狩りの名目で、幕府寄りの宇都宮(うつのみや)氏、佐竹(さたけ)氏を、ドサクサ紛れに討伐しちゃって、幕府との対立を深めて行くようになります😱
あちゃ~、やっちまった(>_<)みたいな😱
↓写メは、現存する鎌倉府跡です😁
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