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その④永享の乱
四代将軍足利義持の没後、弟の義教(よしのり)という人が五代将軍となりますが…〓
それに不満プンプン💢💨だった足利持氏は、1429年に元号が『正長』(せいちょう)から『永享』(えいきょう)に変わっても、関東だけ元号そのまま変えず、なんていうコソクな抵抗をします😣
元号とは⁉ちなみに今の元号は『平成』です✌
しかも足利持氏は、自分にシッポ振ってすり寄ってゴマすってくるやつばかりを鎌倉府の重役に取り立てて、自分の派閥で周囲を固めて、次第に独裁者のようになってしまいます😵
マジギレして💨堪忍袋の緒が切れた幕府は、関東管領 上杉憲実(のりざね)に持氏を討伐せよとの指令を出します🐴
さらに憲実が幕府に協力を要請すると、幕府は切り札であるスペードのジョー♠ならぬ、駿河国(するがのくに、静岡県)の今川範忠(いまがわのりただ)というパワフルな助っ人を出動させたのです✌
駿河の今川氏といえば、足利将軍家の、いわば分家なわけで、親戚ですな😃
いま一人、京の足利一族から、足利政知(まさとも)という人が軍勢を率いて、足利持氏討伐に乗りだします😣キャー😱
足利政知は鎌倉公方に加勢した三浦義同(みうらよしあつ)らの軍勢に敗北して、伊豆の堀越(ほりごえ)まで逃亡します😱
しかしながら、今川のパワフルな軍勢は、それらを箱根の戦いで撃破して、破竹の快進撃をビシバシやってしまうんですな✌
ヒューヒュー✌頑張れ~〓
まるでオニのような今川軍の強さに恐れをなした三浦の軍勢は、鎌倉公方を裏切って今川に寝返り、鎌倉を総攻撃します🐴
そして、ついには鎌倉公方 足利持氏は召し捕られて御用となり…😣
そして自害に追い込まれます〓(結城合戦)
つまりハラキリ、切腹ですな😱
世にいう『永享の乱』は、そのようにして、一応の決着がついてしまったのです😃
↓ちなみに、ちょっと分かりにくいけど、足利持氏が自害する場面を描いた絵です🎨
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