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小学時代
父は石川県出身である。
しかし、小さいときに関西の大阪に引っ越ししたのである。
そして自分はプロ野球になりたいという夢を持ち、小4からリトルリーグに入った。
最初は3軍だった。
父は必死に努力し、一軍に上がりレギュラーを取った。
ポジションはセカンドである。
常に一番を打ってた。
その中でツーベースヒッターと言われる事が多かった。
しかしその一番バッターを他人に取られてしまった。その時、父は辞めたい気持ちになり練習を休むことが多くなった。
それを知った父の父が父に「お前は何のために野球をして来たんだ?」と言われ自分は「プロ野球を目指してる」と思い、また努力を他人の何十倍努力した。
そのおかげで再び一番バッターに戻った。
そして大会に挑んだ。
その時はリトルリーグが少なかったため府大会ではなく関西大会である。他の県は県大会であった。
試合が始まり、余裕の優勝であった。ほとんどが五回コールドだった。
その理由は父が20球以上ファールを粘り、その後打点が爆発したのであった。
そして全国大会に出場し、決勝までぎりぎりて勝ったり余裕で勝ったりしてました。
決勝戦では元プロ野球の投手で現在ヤクルトの投手コーチをしている準優勝で終わってしまい皆はすごく悔しかったようだった。
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