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序
☆
ハローみなさん、楽しかったよ。グッバイ、うそうそ――楽しいことなんてひとつもなかった。十二回建てのアパートの屋上から見渡せるコンクリートで作り上げられた世界は重苦しいことこのうえなかった。町がひとつの生物のように悲鳴をあげていた。歓喜の悲鳴。
――うれしいな、うれしいな。今日も人が死んだ。ぼくの身体の中に身を投げ出した。うれしいな。ぼくはずっとこうやって口を開けて待っているから。みんなもおいでよ。さあ。
それは蠕動運動のようだ。大気の揺らぎが、自然の移ろいが、人々をそそのかしているように見えた。そのうち、僕も飛ばなければならない、と思いはじめた。
ただ、そうあるように飛ぶ。息を吸うように、息を吐くように。産声を上げるように、最後の息を長く吐き出すように。衝動を感じるまもなく僕は屋上に立っている。
学校だの人間だの閉塞だの――理由を考えることに疲れて僕はここにいる。
いうなれば本能のようなものだった。泣きつかれた赤子が眠るように、中学生が自慰を覚えるように、僕はここに立っている。安全のために張られたフェンスを後ろに。細い足場に立っている。
この高さなら誰にも気付かれない。静かだ。風が強い。フェンスを強く握り締める両手からはさびついた鉄のにおいがするのだろう。ここにきてようやく動悸が激しい。顔面の張り付いたような笑いに比例している。
眩暈がした。
――おいで。
――ああ。どうぞ。
目を開けると僕は飛んでいた。
世界は反転を繰り返し、視界は明滅を休まない。くっきりと、太陽に照らされて光る町の稜線から、数羽の白い鷺が飛び立ったように見えた。そのとき僕は、町がただ、平和だったことに気付いた。そこに僕が毎晩夢に見た青い怪物の姿はなかった。
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