四月二日

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 それは中一の春、ちょうど今日と同じ日だった。  絵美は中学生になったことがそうとう嬉しかったのか、街が見下ろせる丘に僕を誘った。桜ヶ丘と呼ばれるその丘は、名前の通り春になると桜が辺り一面に咲いて、観光場所として有名だった。  でも僕たちが目指すのはその少し奥。一般の人にはあまり知られてない、杉林を抜けた先にあるお気に入りの場所。  そこは僕と絵美の二人きりしか知らない"秘密基地"だった。  芝生が広がり、陽が当たるそこはぽかぽかと心地好い。そしてそこにはちょうど大人が二人座れる程の木製のベンチがぽつんと一つあった。  そこから見渡す街は広くて、小さな僕らはそれに対抗するように肩を寄せ合ってはお互いの温もりを感じていた。  幼い僕たちには恋愛感情なんてなくて、でもここに来ればいつもほっとして、暖かくて、言葉にできない何かが得られる気がして。 それがなぜかはわからなくても、僕たちにとって思い出のつまった大事な場所だった。  でも十二歳の僕は女子と二人きりでそこに行くのがなんだか照れくさかった。何か言い訳が欲しくて、中学の美術で使う大きくて赤いスケッチブックを持って行くことにした。  それでもやっぱり一緒に行くの恥ずかしかった。だから僕は先に秘密基地に行き、一人でベンチに座って絵を描いて待っていた。  絵なんて学校の授業以外で描いたこともないし、美術の成績も三しか取ったことはない。だから最初は適当だった。  でも描いていくうちにその景色に吸い込まれるようにだんだん楽しくなっていった。授業では感じられなかったそれは、時間が経つのを忘れさせてしまっていた。  出来上がった時はもうほとんど日も暮れていた。
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