第四章 襲い来る堕天使の翅

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  呼吸を整え、気を静める東藤の様子を一瞥し、パイモンは深淵に浮かぶ二つの瞳を純真な目で見上げ、親しみを込めた言葉を投げ掛ける。 「如何でしょうか。ルシフェル様? 二千八百年近く前に地上世界から一度消失し、永き時を超えて再び現出したこの魔導原書。貴方様の所有物に相応しいと……」 「だが如何にして、魔導の技術(クラフト)を揃えようとも、天上の神が創ったこの牢獄はおろか、私を縛るこの鉄鎖の一つでさえ破る事は不可能だろう」  暗闇の中から響いた異質なる者の返答を訊き、老人は眉を上げて紅い瞳を見上げた。 強大な魔力エネルギーと多彩な技術を操る才覚を秘めた者が所有する事で、万能の力を得られる秘宝……≪ソロモンの鍵≫を手渡したとしても、彼の者は最下獄からは抜け出せないと語る。 並み居る魔神達を超越した存在であろうとも、天上の神の力には抗えない様だ。  ルシフェルとパイモン。両者の存在も人間である自身には、遠く理解の及ばない者であると改めて確信し、東藤は軽く息を吐いて二人のやり取りに耳を傾ける。 地上世界にて、のうのうと生き長らえている人間達へ裁きを下すのに、ルシフェル程相応しい存在も無いだろう。 ……そう考えていた彼の思考を止める様に、ルシフェルの声が東藤の身体に伝わっていく。 「……東藤仁彦よ。人間共の様子はどうだね。楽園追放から何千年の時が過ぎ、再度魔界と交わりつつある彼等の世界にも、変動の兆しは見えている筈だが?」  地を這う様な響きを持つルシフェルの≪魔界言語≫に身を震わせると、東藤は静かに彼の問いに答える。 「貴方様が差し向けた“大罪”に苦しみ、自らの愚かさにすら気付かぬまま罰から逃げ、他の悪魔達にまですがり付いて、微かに存続し続けて居ります」  東藤が語る人間への怨み辛みを間近で訊き、パイモンも口を開けて彼の顔を覗き込んだ。 恨み節を訊かせながらも品良く立ち振舞う彼の姿から、人間の低俗さに嫌気が差した聖職者達の姿を連想し、彼は人間でありながらもルシフェルに選考された理由を理解する。 彼もまた人間でありながら、同族である人間に鉄槌を下さんとする者なのか。 「貴殿等が提供してくれた秘宝と報せから、現状を理解する事が出来た。改めて礼を言おう」  二対の紅い瞳が暗闇に溶け込んで消失し、最下獄の謁見場に残された二人の耳へ、涼しげな鉄鎖の音が鳴り響く。  
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