第1章 奇劇の黒い影

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「君は、『何』なんだい?」 あの日の記憶は、あまり留めて置きたいと望む類の思い出ではないので、正確な日付を吐露するのは控えさせてもらいたいというのが、僕の自分自身に対する切実な要求だ。 だから、それを加味した上で、口下手なりに開示していく事に理解を得たい。 季節は、夏の始め。 昼間の暖かさを帯びた風が次第に熱を失い、生温く頬を撫でる夜道。 彼は、僕に言った。 僕に、問い掛けた。 それが僕に対する、それこそ『何』だったのか、僕には理解出来なかった。単純な質問なのだとしても、それはあまりにも無限に近い選択肢が存在していたし、警告の類だったとしても、その意を理解出来ない時点で絶望的に無為――そのどちらでもない何かでも、それもまた僕にとって押しなべて等価に、意味は無い。 誰ではなく、『何』なのかと。 そんな調子で、日も暮れた夜道の景色に真黒な彩りを添えた場所――学校からの帰宅途中にて通り掛かったバスの停留所で、僕は彼に遭遇した。 一言で言い表せるような人物では無く、彼の纏う異色は、形容を強制するならば墨汁を煮詰めたような黒色で――ただでさえ夜道の暗がりの中、周りの景色と同化するどころか、夜景を背景色に、一層自身の色を強調しているような姿だった。 何より、そこに存在しているだけで平然と身を包む空間も含めたあらゆる思考に、歪みを与えているような錯覚を覚えてしまう事が、僕の危機回避本能を刺激していた。 それは、不明瞭への警戒。 瞳に捉えた盲目的な景色、明確な視界を切り取る確かな不明確に対して辿り着くべき正解を誤る事――即ち、それは『間違った正解』に身を導く事への恐怖心だったのだろう。
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