青夏

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 ピピピピピピ———  スマホのアラームで眠りを破られる。  ふと、目を開けると、沈黙した扇風機が目に入った。タイマーが切れたのだろうか、部屋の中は蒸し風呂状態。着ているTシャツも汗で湿っている。  高校二年の夏。七月、猛暑。  クラスメイトたちが続々と進路を決める中、俺は何の目標も見出せず、代わり映えのしない日々を送っていた。  将来の夢もないのに何のために勉強すればいいのだろう。朝日の差し込む部屋の中、参考書を広げた机を前にため息が出た。 「今日は、パンって気分じゃないんだよな」  制服に着替えてリビングへ向かう途中、こうばしいパンの香りが鼻腔をくすぐる。  食欲を誘う匂いの筈なのに、俺の胃はぎゅっと収縮して食べ物を拒否しようとした。  その原因は朝食を準備しているであろう母親にある。  つい数日前、進路調査票をめぐって口論になったばかりだ。「やりたいことがないから白紙で出す」と言い張る俺を見て、母親は「あんたはやりたいことを見つけようとしてないだけ」と、ひとの気も知らないで怒鳴りつけた。  あの人はいつも俺の気持ちを分かろうとしない。  目的を見出せないまま机に向かうたび、どんどん自分がダメな人間に感じることも、目が冴えて眠れなくなることも、どんなに悩んでいるかも知らない。  そのくせ、何でもかんでも頭ごなしに怒鳴りつけてくる。母親はいつもピリついた空気を纏っていて、俺の身体は母親の気配を察知するだけで拒否反応を起こすようになった。 「一葉(かずは)、おはようは? 起きたら挨拶するのが普通でしょ」  リビングの扉を開けた瞬間、案の定不機嫌そうな声がした。  顔を上げると、リビングとキッチンを忙しそうに往来する母親がアーモンド型の瞳をつり上げて俺を見ている。 「‥‥‥おはよーございまーす」 「っていうかアンタ。昨日電気つけっぱなしで寝たでしょ。今日が試験最終日だっていうのに、たるんでるんだから! 」  母親は、朝食が乗った皿を叩きつけるようにしてテーブルに置いた。こんがり焼けたトーストが皿の上で跳ねる。  焼き目というより、もはや被爆に近いトーストを視界の隅に捉えながら、俺は無言でダイニングチェアーに座った。  朝のテレビ番組から流れるアナウンサーの声をBGMにして、口が切れそうなほど硬いトーストを齧る。その味は怨念を込めたかのような不味さだった。
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