216人が本棚に入れています
本棚に追加
「一葉さま、そろそろ戻りましょうか。如月さまが心配します」
三日月のふわふわとした毛並みが、浴衣の袖を撫でる。その時にはもう、二人の姿は見えなくなっていた。
「そうだね。帰ろっか」
俺たちは鬱蒼とした林を、ふたたび歩き始めた。来た時よりも寂しく感じる道を、下駄で踏み締めるたび、紺色の闇が身体に纏わりつくようだった。
「そういえば一葉さま。先刻は勝手に学校へお邪魔してしまい、申し訳ありません」
「なんで謝るの?」
気がつけば道の両端にある石灯籠に火が灯っていた。社殿へと連なる石灯籠は、三日月の足取りに反応するように、ぽんぽん明かりを灯していく。
神様なら神様らしく堂々としていれば良いのに、隣を歩く三日月は背中を丸めていた。
「如月さまが、大きな猫は目立つから学校に来ては駄目だと‥‥」
「それを言うなら、正門で煙草吸う男もどうかと思うよ」
あの日、学校に来た三日月は、キサラギが指を鳴らしたとたん見えなくなってしまった。確かに大きな猫は目立つが、正門で煙草を吸うキサラギも、十分注目されていた。
あの人は、自分を棚に上げるのが上手いよなあと思っていると、三日月の足が止まる。
「如月さまは煙を吐いていないと、死んでしまうらしいので、大目に見て下さい」
ぱちくりと、まばたきひとつ。
三日月は仰々しく頭を下げた。
「わたくしは此処で失礼致します」
「みんなのところに行かないの?」
「ええ、大きな猫は目立つので、遠慮しておきます」
擦り寄ってくる三日月を撫でてやると、身を翻し、元来た道を駆けて行った。闇に消えて行く姿を石灯籠が照らしている。
「またな、三日月」
俺は小さく手を振って、三日月が消えた森の奥を見つめていた。無数の人々の熱気と騒めきが聞こえてくる頃には、もう石灯籠の灯りは消えていた。
最初のコメントを投稿しよう!