遊郭の化け猫(番外編)

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 人界と異界の境界が曖昧になる月夜を狙い、さまざまなあやかしどもが人間相手に商売をしている。今夜は満月、狸もまた人間に化けて、城下で団子を売るのだろう。  じゃあな、風邪ひくなよ、と言って歩き出すと、だんなもお気をつけて、と狸は大げさに手を振った。 「呑気なこった」  そう呟き、遊郭に向かって歩き出す。  白い息を吐きながら向かった街は、派手な化粧の遊女とあやかしでごった返していた。お囃子の音と売り子の威勢のいい売り子の声。そして天を貫くような女の高笑いが響いている。  年中お祭り騒ぎの相模辺路で、一際目を引く朱色の楼閣。  ここが、相模辺路いちの女郎宿『燈心楼(とうしんろう)』だった。他を圧するが如き豪勢な建物は、昼にも関わらず妖艶さを纏っている。 「如月さま」  名を呼んだのは、二十を幾つか過ぎた女だ。  絹糸のような射干玉の髪を後ろに流し、細い手で雪玉を抱え、草履を鳴らして駆けてくる。緩く帯を結んだ薄紅色の着流しが、雪景色に霞んで見えた。 「やぁ一華(いちげ)、そんな薄着じゃ風邪ひくぞ」  白い頬をほんのり染めた一華が、悪戯が見つかった少女のように肩を竦める。黒目がちな瞳に目尻は少し垂れていて、毛並みの良い仔猫を連想させた。 「雪が嬉しくてつい」 「好奇心旺盛な女は嫌いじゃないが、玉の肌に障る」    そう言って、赤く悴んだ一華の手を包み込む。相模辺路にいる者は生きた人間では無い。それでも気休め程度の体温は与えられている筈だが、一華の手は凍り付いたように冷たかった。 「体が冷え切っているな、早く中へお入り」  手の甲をひと撫でして言うと、一華が俺の手を捕まえる。 「如月さま、どうか私の手を引いて、宿へ連れてって下さいませんか?」 「一華はわがままだな。今日はお前とは遊んでやれない」 「少しの間で構いませんので‥‥」 「いけないよ、桔梗(ききょう)に怒られる」 「それでも、こうしていたんです」  そう言うと、一華のしなやかな指が、花の蔓のように俺の指に絡まった。
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