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「如月さま、いつものお部屋で宜しいですか?」
すかさず一華が手を握ってきて、無邪気に尋ねた。機転が効くのか、雷を落とされなくて安心しているのか。
「ああ、そうしてくれ」
ぎぃぎぃ音をたてて真っ黒な梯子段を上る。
燈心楼の女将は番人の仕事を斡旋していて、相模辺路で事件が起こるたびに、式神を使って俺に差し紙を寄越す。活動拠点として部屋を与えてくれるのはありがたいが、人遣いが荒いのは否めない。悴む足で何個目かの踊り場を過ぎると、馴染みの部屋へ着いた。
障子を開けると、おせえぞ。という嗄れ声がする。顔を上げると、畳の真ん中に陣取る茶色い猫が、こっちを向いて舌打ちした。
その横には枯れ木のような老婆が座っている。縮れた白髪を結い上げ、白粉を叩いた肌には皺が深く刻まれ、真っ赤な紅が嫌に目立つ。着物から伸びた首は筋張っていて、見た目だけで言えば八十くらい。しかし、実年齢は百五十を有に超えている。
「雪の中わざわざ来てやったのに、その言い方は無いだろう」
俺は腰を下ろして目を細め、眉間に力を込めて言った。
「どこをほっつき歩いてたのか知らんが、約束の未の刻(14時)はとっくに過ぎている」
女将の言葉に格子窓の外を見る。
冬の日は仄かに暮れ、粉雪がちらついていた。向かいに座る女将は、着物の袖をめくりあげ、不機嫌そうに煙管に刻みを詰めている。
「黄瀬川、そんなに怒りなさんな。直ぐに片付けてやるから」
「‥‥‥‥本当かい?」
「そうとも、なぁ茶々?」
ちらりと茶々の方を見やると、前脚と後ろ脚を大きく伸ばし、聞いた限りでは問題ないだろう、と言って欠伸をした。
「お茶、淹れてきましたよ」
座卓に茶を置いた一華が、にこにこと笑っている。不思議に思って茶碗を覗くと茶柱が一本、幸運を暗示するように立っていた。
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