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「お前が、如月か?」
突然、耳に吐息が触れ、地鳴りのような声がした。
振り向くと、月明かりを背負って浮かび上がる化け猫の姿がある。
黒い巨体に金色の瞳。柔らかい毛に月明かりを反射させ、風もないのに靡いているかのようだった。
俺は黙って提灯を置き、腰に差した短刀抜きながら、じりじりと間合いを取る。
金眼は鋭く光り、口元は鋭利な牙を剥き出して不敵な笑みを浮かべている。あんな化け物に襲われたらひとたまりも無い。
俺が畳を足の裏でしっかり踏み締めると、黒い塊が動き、銀色の爪が光った。真っ直ぐに伸びた前足が、短刀を弾いて肩を掴む。
だんっ、
瞬間、派手な音を立てて、畳に組み伏せられた。全身をどっしりとした重みが支配し、硝子玉のような金眼が目前に迫る。
「———降参だ。お前の要求を聞かせろ」
身動きを封じられ、苦々しく言った。
「刀を向けられたから応戦しただけのこと。要求なんてもんは無い」
俺を組み敷きながらも、化け猫の声に敵意は感じられない。怒っているようにも、恨んでいるようにも見えない。ただ興味深そうに俺を見下ろしている。
「桔梗をものにしたいんじゃないのか」
限界まで顔を近づけられる。二人の目に互いの瞳しか映らない距離まで。
「猫の俺が人間の桔梗を?ははっ、笑わせるな、俺は桔梗に頼まれて火をつけたのさ」
「そんな馬鹿なことがあるか、桔梗が頼むわけがない」
「どうだろうな、好いた男に会うために吉原に火を付けた女が居ただろう?遊女っつうのは、楼から出たいが為に火事を起こしたがる」
人を馬鹿にしたような薄ら笑い。
苦痛に歪んだ自分の顔が、化け猫の瞳に映っている。
「片棒を担いだってわけか」
「たまたま油を舐めに忍び込んだのを、桔梗に見つかってな。腹が空いてんなら食えって、美味い団子を貰ったんだよ。その礼に頼みを聞いてやったのさ」
桔梗が化け猫と共謀し、火事騒動を引き起こした———
とんとん、と指の甲で畳を軽く叩く。
放してくれという訴えを聞き入れ、化け猫は前足の力を緩めた。
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