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煤汚れた着物を払いながら立ち上がり、中ほどからぽっきり折れた短刀を拾い上げる。
「なんで俺の名を知ってるんだ?」
座敷に丸まって毛繕いする化け猫に、忌々しげに言った。化け猫は前足を舐めながら、俺の方を見やる。
「桔梗がいつもぼやいてたからさ。如月さまはいつ会いに来てくれるのか、如月さまは他の遊女んとこへ行っちまったのかってな」
「どうせ他の客にも言ってんだろ」
期待する方が野暮だ。そう思って言い返すと、化け猫があっさり首を振った。
「ここんとこ一緒に居たが、他の男の名は聞いたことがない。だいたい桔梗はお前に身請けされたがってた」
「金が無い俺が身請けなんて、夢のまた夢さ」
化け猫の視線が俺の心を見透かすように注がれている。面相が悪ければ良いのに、こいつは変に愛嬌があって、親しみが湧いて、要らぬことまで話してしまうのだ。
「お前、名前は?」
俺は煙管に火をつけて、座敷に胡座をかいた。化け猫は小首を傾げる。
「名前なんて忘れてしまったよ。桔梗は金色の猫又と呼んでいたが、見ての通り、俺の体は金色じゃない」
「そりゃ、瞳が金色だからだろ」
素っ気なく言い返し、煙管の口元を咥えた。
三日月のように口元を引き上げた化け猫が、煙の中で笑っている。
「お前って三日月みてえに笑うよな」
「ほぉ、ろくでなしの割りに粋な事を言う」
揶揄うように顔を撫でる尻尾を手で払い除け、金も地位も無くて悪かったな。とため息を吐いた。
「三日月。その呼び名気に入ったぞ」
化け猫はそう言うと、俺の顔を覗き込んだ。
吸い込まれそうなほど澄んだ瞳が、敵意の無いことを物語っている。
「桔梗が見請けされれば、お前はもう火を付けないか?」
「無駄な事はせんよ」
「そうか、ならば黄瀬川にそう伝えておく」
暴れて灯籠を倒した以外に被害は出ていない。これ以上聞くことも無いので、俺は化け猫に背を向け、座敷の戸を引いた。
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