青夏

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 あれは俺が小学校低学年くらいの時だったと思う。その日はバラエティー番組に夢中になってしまい、日課だった祖母の話しを気がずに布団へ入った。  風の強い夜だった。  暗い海のように広がる闇の中、眠ろうとすればするほど目が冴えて眠れず、ぼんやりと障子に映る木々の影を眺めていた。  ゆらり、ゆらりと揺れる黒い影が、次第に大きな化け物に見えて、沸々と恐怖心が湧いてくる。 「婆ちゃん起きてるかな」  部屋に居るのが怖くなって、意を決して起き上がり、部屋の戸を開けた。      幽霊屋敷並みの暗さの廊下は、一歩踏み出すだけで闇に飲まれてしまいそうだった。  こういう時は絶対振り返っちゃいけない、ホラー映画では確実に幽霊がいる。  そんな恐怖に苛まれながらも、廊下を夢中で走った。  田舎特有の無駄に長い廊下を駆け抜け、祖母の部屋の灯りが床に漏れているのを確認し、安堵して障子を開ける。そこには、裁縫道具を広げた祖母がいた。 「一葉(かずは)、来ると思ったよ」 「起きてて良かった。婆ちゃん、眠れないから面白い話しして?」  座敷机の前に座ると、柔らかく笑った祖母が、そうだねぇ、と言って俺の頭をそっと撫でる。 「じゃあ今日は特別な話しをしようかな」 「特別な話し?」 「そうだよ。近所の神社にまつわるありがたいお話しさ」  裁縫箱を閉めた祖母は、優しく目元を細めて口をゆっくり開いた。  俺の住む淡島(あわしま)市は、美しい海と温泉で栄えている。今でこそ観光客で賑わっているが、江戸時代頃には原因不明の疫病や、飢饉でたくさんの人が死に絶え、村人同士の争いも絶えなかったらしい。  そこに追い討ちをかけたのが、冷夏による不作だった。度重なる飢饉や疫病の蔓延で心身ともに消耗した村人たちは、悪状況の原因を、目に見えない存在———妖怪や鬼の類いだと思い始める。 鬼や妖怪を鎮められるのは神様しかいない。    そう思った人々は、村一番の大きな杉の木を御神木に見立て、なけなしの供物と祈りを捧げ、来る日も来る日も祈り続けた。  それからしばらくすると、祈りが通じたかのように、疫病を患っていた人々が回復し始め、干上がった田畑に雨が降り注いだという。
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