オトナとコドモ

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先日、出先で高校生二人の会話が耳に入ってきた。 そこで思ったこと。 ハラが減ったと言葉でいうのは 簡単だが、 明瞭な具体的実体をともなっていなければ気体のよーなものである。 「二人で食事をしよう」 という段になって 「何でもいい」 というのは子供だが、 オトナは、例えば、 「四谷の割烹でアコウ鯛の煮付けに熱燗、 それから東京ベイヒルトンのバーで辛口マティーニってのはどうだい?」 という会話を通じて食べるとゆーことを具体化し、 色づけする。 「アコウ鯛は数百メートルの深海に棲んでいるんだ。 この店で食わせるアコウ鯛は、 その中でも近海のものだよ。一応、江戸前」 「東京湾に深海魚がいるの?」 「東京湾は水深数十メートルで浅いんだけど、 浦賀水道をこえたあたりから、 太平洋側の一万数千メートルの日本海溝にむかって急に深くなるんだ。 このアコウは三浦半島で専門の漁師が釣ったんだ」 オトナは、 こういった具体的な会話を交わしながらアコウ鯛をつつき、 燗酒を口に運ぶ。 「ヘミングウェイは辛口のマティーニが好きだったらしい」 「辛口のマティーニって?」 「ジンのなかにベルモットを数滴垂らしただけ。 普通はジンが3、ベルモットが1の割合なんだけど、 ヘミングウェイのは15対1だった」 「ベルモットって?」 「レモン系のリキュールでジンによく合う」 話の内容が具体的なとき、 心にスキがうまれない。 背筋がピンと伸び、時間が濃密に感じられる。 「そのバーから東京湾の夜景が見えるのかしら」 「じつはそれが売り物なのさ」 と二人は静かに意気投合するが、 それがオトナのムードとゆーものである。 ここで例に挙げたのは男女の会話であるが、 これ、 男同士でも女同士でも具体的な会話をしている時ってのは、 抽象的なものが入ってこないでしょう? 観念に生きるのではなく、 旅行の土産に彼女がよろこぶものを見つけだすよーな、 具体的だが些細なことを 一つひとつ、つみあげてゆく。 それがオトナになるためのココロではなかろーか。 そーゆーことを高校生に対し思った。
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