桶狭間の役立たず

5/6
前へ
/209ページ
次へ
1560年5月19日俺は甲冑に腕を 通し初陣とかしちゃっている。 今川軍が鷲津、丸根の 両砦を攻撃。 その報告を梁田政綱から 受け信長は突如出陣する。 政綱は桶狭間合戦奇襲作戦の 立役者である。 熱田神宮で軍勢を整えるが その数僅か2000である。 政綱から田楽狭間で休憩との 報告を受けると信長は300を 今川軍の正面に向かわせ 1700は自身が率いて桶狭間山の 北にある太子ヶ根の丘を 土砂降りの雨の中馬に鞭を打つ。 信長「小六め。でかしたぁ!」 蜂須賀小六、後の正勝。 秀吉の参謀として活躍し 阿波徳島18万石を領した。 信長は小六に農民に成り済まし 今川軍に酒肴を差し入れていた。 今川軍はそれを信長の策略とは 知る訳もなく宴会を催していた。 丘からは田楽狭間が 手に取るように見え 義元本陣は僅か300程度に 守られている。 藤吉郎「ははぁ。勝ったぞ! なぁ拓也殿!殿は屁ぇで 勝つつもりはないようだのぉ!」 (殺してやろうか、猿め。)
/209ページ

最初のコメントを投稿しよう!

179人が本棚に入れています
本棚に追加