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花緋は走った。
走って走って走り続けた。
自分の息切れの音だけがやけに耳につく。
涙が後ろに流れていくのを乱暴に手の甲で拭いながら、それでも花緋は走り続けた。
「あれ?花緋じゃねぇか、そんなに急いでどうした――…って、………行っちまった…」
屯所の門をくぐって永倉とすれ違ったが、花緋は足を止めることなく横を素通りすると一目散に自分の部屋へと駆ける。
乱暴に襖を開けると背中越しに襖を閉めてそのままズルズルと崩れ落ちるように腰を下ろす。
拭いても拭いても涙はとめどなく溢れてくる。
目を瞑ると晋作の悲しそうに笑う顔が否が応でも映し出されて、それが再び涙を誘う。
胸を締め付ける。
いつから私はこんなに泣き虫になってしまったんだろう。
昔は何を言われたって涙を我慢できたのに、今の私は我慢の方法を忘れてしまったようだ。
「…っふ…う、…くっ…!!」
口を抑えても嗚咽が溢れてくる。
晋作にあんな表情をさせたのは、私。
晋作は今きっと孤独なのだ。
師と仰いでいた吉田松陰は亡くなり、栄太郎は稔麿と名を代え道を違え、――そして私は幕府につき晋作の敵になった。
晋作の隣には誰もいない。
一人で、たった一人で全てを背負っている。
それを思うと胸が痛くて痛くてたまらないのだ。
強さが、欲しかった。
何か一つだけを選んで迷わない強さが。
このままでは私はどちらも裏切っていることになる。
――このままじゃ、ダメだ…。
涙を拭いながら花緋は腰の刀にそっと手を伸ばす。
私には絶対的に“覚悟”というもの欠けている。
信じ抜く覚悟。
貫き通す覚悟。
花緋はゆっくりと脇差しの刀身を鞘から解放する。
まだ人の血に触れたことのない刃は美しく輝きを放つ。
花緋はゴクリと喉を鳴らして生唾を飲み込むと左手の掌に脇差しの刃をそっと当てた。
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