77人が本棚に入れています
本棚に追加
朧月を愛でながら、ゆるりゆるりと男が酒を呑んでいる。恐らくはまだ若い、青年のようである。
闇を紡いだ詰襟の黒衣に、愁いを含んだ白皙の面が映える。
傍らには、片目の潰れた小さな猫がまどろんでいた。
辺りに人けは無く、茫々と薮が繁るばかりである。
不可思議な事に、男も猫も四尺程宙に浮いている。
まるでそこに縁台でもあるかのように、男はしっかりと宙に腰掛け脚を組み、猫は丸くなっていた。
天の羽衣の隙間から、十六夜の月が顔を覗かせる。
その度、猫の真っ白な身体から、ふわりふわりと燐光が立ち上った。
「ああ……いい月だ」
と、何処からともなく人影が現れ、男の傍らに立った。
赤い花の描かれた若草色の着物を纏った、痩せこけた老爺である。
「やあ、お邪魔しますよ。よい月夜ですな……――時にお若い方、鬼の噂を御存じですかな」
「鬼……」
「そう。近頃この辺りに、花心を抜き去る鬼が出るのだそうです。一人は常世へ誘う姫、もう一人は死へと導く若い男。その男、眇の猫を連れていると言う」
「それは……まるで俺達のようだな」
探るような老爺の言葉に、口へと運びかけた盃を止め、男が低く喉奥で笑う。
その時、猫が背中の毛を逆立て、闇に向かって唸り始めた。
「御老体、噂の常世の姫君がお出でなすったぜ」
猫の睨む薮の一画からするすると闇を割り、女が現れた。
十二単を纏い、長い黒髪を垂らした美姫である。
姫に伴った二人の女童が手にする鈴蘭が、蛍でも籠めたのか淡く明滅し、姫の美貌を妖しく照らしている。
最初のコメントを投稿しよう!