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徐に姫が、老爺に向かって手招きをする。
呼んでいるのだ。魅入られたように老爺の足が揺れる。
と、薄雲の隙間から皓々と差す月光が、一筋鈍く瞬いた。
それを掬うように翳した男の手が、次の瞬間には一振りの刀を握っていた。
ずらりと抜かれた刀の刃が、夜露と月光を孕み、青く煌めく。それは斬る為に鍛えられた刀だった。
「時守りの鬼はお主かっ!」
駆け出しかけた老爺の胸に刃が一閃し、真っ赤な物がばっと飛び散った。
しかし、返す手で刀を納めた男の足下に老爺の姿は無く、深紅の花を付けた木瓜の枝が落ちているばかりである。
その枝を拾い上げると、月明りに光る物がある。
絡み付いた蜘蛛の糸だった。
「俺達が鬼か。では、姫君はいったい何ぞ!?」
そう呟くと猫はさも可笑しそうに、月に向かい喉を立て呵々大笑する。
放って置けば、やがて木瓜の古木は天寿を全うし朽ちるだろう。
これで今夜の勤めは仕舞らしい。
あるか無しかの微笑を掃くと、男は再び盃を取り、ゆるゆると呑み始めた。
姫の姿はいつの間にか消えている。
後はただ、この世の人ならぬ、滅びと時の守り人を、月が静かに照らすのみである。
了。
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